旅 今日も青空 元気いっぱい

旅の写真をのせて日記風に

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日光東照宮

2009/11/5 
日光駅下車 徳川家康公を祭る東照宮へ
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神橋


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日光東照宮 一の鳥居
高さ9m 柱径約1m 花崗岩の巨石で造られた石造

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表門     日光東照宮拝観料 1300円
巨石の石垣上に立った三間一戸の八脚門。仁王像

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天を突くようにそびえ立つ五重塔
高さ約3lm 1650年に小浜の藩主酒井忠勝が法の奉納したが、1815年に焼失。現在の塔は1818年酒井忠近によって再建されたもの。
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左 上神庫  右 中神庫
例祭等に使用する道具が収められている。

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神厩舎
神馬をつなぐ厩舎
東照宮の境内では唯一の素木造りで簡素な建物。長押に猿の彫刻。
猿の彫刻は、猿が馬を病から守るという信仰からここに彫られ、8面
左から猿の一生を表わし、人間の一生を風刺していると言われている。

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左から枚目 
親猿が子猿の将来に思いをはせる。子は母を信頼して、顔をのぞきこむ。

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2枚目  有名な彫刻
子供のうちは、悪いことを「見ざる・言わざる・聞かざる」がよい。

3枚目 ひとり立ち前の猿。まだ座っているが飛躍を期す。(じっくり腰を落ち着けて、これからの人生を考える。)
4枚目 青雲の志を抱いて天を仰ぐ。(若いうちは可能性が多い。望みを大きくもって上を見る。)

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5枚目 人生の崖っぶちにおいても、励ましてくれる仲間がいる。

6枚目 恋に悩み、物思いにふける猿。
7枚目 結婚した2匹の猿。力を合わせて人生の荒波を乗り越える。
8枚目 妊娠した猿。やがて子が生まれ母になる。最初の場面に戻り、新たな人生が始まる。
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左 水盤舎  右 経蔵  二の鳥居
経蔵 上下層共に軒裏まで極彩色の彫刻で飾られ、数多くの飾金具が使われている。

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二ノ鳥居
鋳物師椎名兵庫が鋳造した日本最初の青銅製の鳥居。高さ約6m
中央に見えるのは陽明門  鳥居の左に見える建物は鼓楼  右に見える建物は鐘楼

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陽明門 国宝
華やかな東照宮の中でも最も絢爛たる門
陽明門の名は京都御所12門の一つの名を賜ったといい、1日見ていても見飽きないということから日暮門の異名をもつ。明治維新までは、庶民はここから中へはいることは許されず、武士は刀を預け、勅使さえ装束を改めたという。入母屋造、三間一戸の中央が通路、2層の楼門で、すべての面が約500の彫刻と金・緑・群青・朱などの極彩色で装飾されている。

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陽明門
勅額 正面唐破風の中に御水尾天皇より賜った東照大権現の額がかかっている。

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陽明門 近寄って見上げて


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回廊   国宝
陽明門の左右に延びる建物で、外壁には我国最大級の花鳥の彫刻が飾られている。いずれも一枚板の透かし彫刻には極彩色がほどこされている。
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唐門   国宝
本殿・拝殿の正門にあたる。小さな門だが、精緻を極めた彫刻、白と金を基調とした色調など典雅な建築物。屋根正面の獅子に似た動物は恙(つつが)という想像上の動物で、獅子や虎よりつよいといわれる夜の守り。左右の青銅の竜は鰭切りの竜と呼ばれ昼の守り。どちらも椎名兵庫の作。最近では恙を単なる唐獅子とする見方もある。

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唐門   
欄間の彫刻  1本の木に26人の人物がきざまれている舜帝朝見の儀、右側の八仙人、左側の七福神、背面は七賢人と、中国の故事に因む。
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神楽殿
寛永の大造替のときに建てられた。黒を基調にした7m四方の入母屋造り。

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祈祷殿


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奥社入口
鶴と波の彫刻

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眠り猫 国宝
左甚五郎の作と伝えられている。坂下門へと続く回廊の長押にある。
おもいのほか小さい彫刻。
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眠り猫
その題意は様々な解説がなされている。
1 奥社にねずみ1匹も通さないため。
2 禅問答の「牡丹花睡下猫児」から画題を得た。
3 左甚五郎が牡丹の花と猫で、日光山を象徴する日の光を表わした。
4 反対側のすずめと対で、すずめも猫の側で遊べるという平和と安定を表わしている。

奥の院へ
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207段ある石の参道
石段は一枚石

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銅鳥居
石段を登ると1649年に造られた銅鳥居。
鳥居をくぐり、宝物を納めていた奥銅神庫の前を通って。
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石段を上ると奥宮拝殿


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奥宮拝殿
参拝するための社殿で将軍でないと昇段参拝はゆるされなかった。

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鋳抜門  1650年 椎名伊豫作
唐銅で屋根・柱・壁などを鋳造し、それを組立てたものでり、鋳抜門称する。当時の豪華な作風を示すもので、色調は御宝塔にふさわしく荘厳の気があふれている。(案内より)

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奥宮御宝塔(御墓所
宝塔は高さ5m 八角九段の石積みの上に立つ家康公の墳墓。宝塔の前に置かれる鶴と亀の燭台、香炉、花瓶の三具足は朝鮮からの奉納品。

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奥宮御宝塔案内


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叶杉 樹齢約600年
所々の願い事をこの杉のほこらに向かって唱えると願い事が叶うと伝えられている。

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石段を下る。


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もどって坂下門
白と金を基調にした美しい門で、全体を胡粉で白く塗り装飾は七宝金具を用いている。かつては将軍の参拝のとき以外には開かれなかったので、不開門(あかずのもん)と呼ばれていた。
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眠り猫の彫刻のある裏側  
小さくて見えないがすずめの彫刻

拝殿・石の間・本殿
東照宮の中心となる建物で、回廊と透塀で二重に囲まれた権現造りの本社。拝殿と本殿を石の間が工字形に繋いだ、霊廟の代表的な様式。参拝者は靴を脱いで入る。撮影禁止
「来てよかったね」と声がしていた。私もそう思う。本地堂(薬師堂)で鳴竜が印象的だった。
天井に竜の墨絵が描かれていて、天井の下で拍子木を打つと、竜の鳴き声ともいわれるルル・・・共鳴音 鈴虫のような音がした。

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神輿舎
神輿を納めておくところ。

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神輿舎内
3基の神輿は中央が家康 左が頼朝 右が秀吉の神輿
天井は鏡天井で3人の天女が奏楽しながら舞い、周囲には鳳凰や唐草が描かれている。天井画は金箔の上に極彩色で描かれた華麗なもので、狩野了琢の筆による。
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陽明門
逆柱 4本並んだ柱のこちらから2番目の柱
12本の柱の中でこの1本だけグリの模様が逆向きに彫られている。これは陽明門の完璧な美しさに魔がささないように、と魔除の意味で故意にされた。
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東照宮の歴史
駿府城で生涯を閉じた徳川家康は久能山に葬られたが、1617年遺言により日光に改葬、朝廷から東照大権現の神号を許され東照社と称した。社殿は2代将軍秀忠の命により造営された。当時は質素な廟堂だったというが、現在のようなきらびやかな造りになったのは3代将軍家光の時、家光は祖父家康のに熱烈な崇敬の年をもち、費用をおしまず社殿を増築、改修し(寛永の大造替)、現在の威容を誇るまでになった。1645年東照社に宮号(皇室の祖神を祭る神社の尊称)の宣下があり東照宮と改めた。1999年12月(平成11年12月)「世界文化遺産」に登録された。「日光の社寺」
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