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会津若松城

別名 鶴ヶ城
2009/11/7
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鶴ヶ城跡の碑


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若松城(鶴ヶ城)跡の案内


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若松城跡の石碑   右 桝形の立て看板


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桝形の案内


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北出丸


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鶴ヶ城案内


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武徳館


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太鼓門
北出丸から本丸に通じる大手門(追手門)のことで、そこには多聞櫓と呼ばれた櫓がたてられ、胴の径五尺八寸(約1.8lm)の大太鼓を備え藩主の登城や非常事態、その他の合図に使用されていとところから太鼓門と呼ばれていた。
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鶴ヶ城


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武者走り


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会津若松城 五層五階 1965年(昭和40年)再建された。
(パンフレットでは史跡若松城跡 會津 鶴ヶ城となっている)

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城内へ  鶴ヶ城天主閣・茶室麟閣・薬草園入場料金 700円 
(天主閣のみ400円、天主閣・茶室500円)

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入口を入ると石垣の塩蔵 カマスが積んである。
一層 資料で知る歴代藩主
二層 江戸の時代の会津
三層 錦絵で描く会津戊辰戦争 幕末の動乱期 歴史に翻弄された会津藩と白虎隊の悲劇
四層 城下の風物を紹介
五層 昔の藩主の眺めを実感できる展望
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展望


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展望     鉄門 南走長屋 干飯櫓 


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展望

売店 走り長屋 干飯櫓
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大河ドラマ「天地人」展 天地人会津館


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映像  幻の神指城
1600年(慶長5年) 会津藩主上杉景勝の執政直江兼続が指揮を執って工事に着手したが、関ヶ原の戦いが始まったために中断した未完成の城。鶴ヶ城より規模が大きかったと言われている。

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鉄門(くろがねもん) お城


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干飯櫓 出口
干飯櫓・南走長屋は2000年(平成12年)復元された。

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鶴ヶ城

茶室麟閣へ
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麟閣
千利休の茶道が途絶えることを惜しんだ会津の領主、蒲生氏郷は利休の子、少庵を会津に匿い、豊臣秀吉に「千家再興」を願い出た。この結果、少庵は京都に帰り千家茶道は少庵の子「宗旦」に引き継がれた。この麟閣は少庵が会津に匿われていた時、氏郷のために造られた伝えられている。戊辰戦争後は茶人森川宅で保存されていた。平成2年。会津若松市は麟閣を元の場所へ移築復元した。

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麟閣門


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藩主の居間跡  表御座門跡


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鶴ヶ城


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廊下橋


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歴代藩主家紋
鶴ヶ城は約600年の歴史があり、幾多の変遷を経て、悲劇で幕を閉じた名城。

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