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特別名勝 栗林公園

2010/10/15
殿さまたちが百年かけて造り上げたという栗林公園へ
栗林公園は松の緑濃い紫雲山を背景に6つの池と13の築山。
江戸時代初期の回遊式大名庭園
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東門     入園料 400円
もと切手御門といい、通用門であったところ

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芙蓉峰より
紫雲山 赤い橋は梅林橋 北湖


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箱松と屏風松
背丈の低い箱型の樹形の松を箱松という。もとは桧御殿の周りにあった土塀沿いに植えられていた松であるが、長年の手入れから現在の樹形となった。本園独特の樹形であり、300年以上の手入れの積み重ねによる見事な枝振りが見どころである。・・・案内より

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桶樋滝
西湖の石壁(赤壁)の滝は旧藩主の鑑賞用として、当時、山の中腹に置いた桶まで、水を人力でくみ上げ、流していたことから、この名前がつけられたといわれている。
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新日暮亭


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鳳尾塢
薩摩藩主島津公より琉球産のソテツを高松藩に寄付されたものである。樹齢300余年を経ている。

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涵翠池
掬月亭西の池、涵翠池は翠(みどり)を涵(ひた)すという意で、石組の素晴らしい中島の瑶
島(ようとう)の木々だけでなく、背景となっている紫雲山の自然を含めた意図で命名したもの。
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涵翠池


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掬月亭


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掬月亭


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紫雲山 掬月亭 根上り五葉松 南湖
根上り五葉松は徳川11代将軍家斉から参勤交代の折り、松平家9代頼恕に盆栽で賜ったのが、成長しものであると伝えられている。
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堰月橋(えんげつきょう)
この橋は園内で名のある14橋のうちの一つで最も大きい橋であり、その名は弓張り月が湖面に影を写す姿に似ていることからこの名があり、反りをもった美しい大円橋である。平成13年に架け替えられた。
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掬月亭
旧藩主が使用した茶室で、藩政時代に大茶屋とも呼ばれ、歴代藩主にこよなく愛されたこの建物は、園内に建てられた数多くの茶屋風の建物のうちでも一番大きく、特に主要なもので四方正面ともいえる珍しい建物である。掬月亭の名の由来は、南湖に面し月の眺めが殊によいので、唐の詩人于良史の作「春山の月夜」と題する詩で「水を掬すれば月手にあり」の一句を取ったものであるといわれている。藩主生駒家によって建てられたものと推定され、松平家を経て今日に至っている。

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飛来峰より
紫雲山 掬月亭 堰月橋 南湖

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吹上
本園の水源地で東南端にあり、この流れを利用し、藩政時代は「曲水の宴」が行われたといわれている。かつては、旧藩主が建てた考槃亭という茶亭があった。
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小普陀(しょうふだ)
小高い築山に、枯山水風に石組がなされたもので、本園発祥の地とされる。石組は本園中で最も古く室町時代の手法を取り入れて築造されたものと推考される。この地は中国観音の霊場浙江省舟山列島の普陀山になぞえられて名づけられた。藩政時代には、西側に観音堂があった。
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中央  鶴亀松   別名 百石松
商工奨励館の西南にある名松で、亀の形をした岩(約110個の石組)の背に鶴が舞う姿さながらの形をしているのでこの名がある。もと松平家の家老、稲田家の屋敷にあったものであるが、六世の稲田外江貞一は、この松を愛し、手入れのため時の過ぎるのも気付かず、登城に遅刻したため、禄百石を削られたので百石松と呼ばれるようになったといわれる。
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沿革の概要
本園は、元亀、天正(1572年~1593年)の頃、当地の豪族佐藤氏によって、小普陀付近に築造されたのに始まるといわれ、その後寛永年間(1625年頃)当時の讃岐領主生駒高俊公が紫雲山を背景に南湖一帯を造園し、更に寛永19年(1642年)に入封した高松藩主松平頼重公(水戸光圀公の兄)に引き継がれる。以来5代頼恭公に至る100余年の間、歴代藩主が修築を重ねて1745年に完成し、明治維新に至るまで松平家11代228年間にわたり下屋敷として使用された。
園内は、南庭と北庭に分かれ、6つの池と13の丘があり、南庭は江戸時代初期の回遊式大名庭園である。lまた北庭は鴨場として使われていたものを明治末から大正初期にかけて近代的に整備改修した庭園である・・・案内より


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