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びわこ 西へのたび2 ひえい山 (1973年 次女小2 旅行記)

こんどはしでんにのり、出町やなぎへ行き、
けいふくでんしゃにのり、八せいゆうえんに行き、
そこからケーブルにのり、ひえい山についた。
そこで、おねえちゃんにさそわれ、三人でおばけやしきにはいった。
びわこ (8)
こわかった。こわかった。じゅみょうがちぢまる思いだった。
がいこつがきゅうにでてきたりするのだから。
そうじゃなくても、しずかで、うすぐらく、
じめじめしたところをいくのだから、こわくてたまらない。
人がうごかしてるのがみえていてもこわい。
わたしは、「もうでたい。もういや。」といってなきじゃくった。
それでも、道はめいろのようにつづいているような気がした。
いつまでもうすぐらい道がつづくのだ。
もうなにがおこってもわからないような気がした。
みじかい時間だったかもしれないが、わたしには、
とてもながく思えた。やっとでれた。ほっとした。
   ロープウェー
こんどはロープウェーにのった。
びわこ (43)

ロープウェーとケーブルカーは、ちがうところがある。
ケーブルカーは、地めんの上を、上のロープにそってとおり、
ロープウェーは空をロープにそって、いくのだ。
ロープウェーからみおろすけしきにうっとりした。
森がずっとつづいている。みどり、この山、のりものが空なので、
山のみどりがまるっきりひらけていない。
それだけに、空から見るけしきがすばらしい。
鳥の声もした。
「ピーピロ、ピーピロリン。」
「カッコーカッコ。」
「ホーホケキョ。」
うぐいすの子どもは「ケキョ、ケキョ。」
よにもうつくしいらくえんにいるような気がした。
このまま上がっていけば、ほんとのちょうじょうについてしまう。
それがもったいない。でもしかたないのだ。
もうえきが見えている。ああ、もうついてしまった。
ここはみはらしがいい。
けど、もっとおくまでみるため、かいてんてんぼうだいにのぼった。
ここにはいすがあり、いすのゆかが、ぐるぐるまわっているのだ。
四方八方見わたせる上、まどに、ここからなにが見えると、
ちゃんとかいてあるのだから、見やすいものだ。
びわこを見ようとびわこ大はしのところをみたが、
きりでかすんで見えなかった。いすが一まわりしたので立って外にでた。
そしてしぜん科がくかんにはいった。
そこに、けんびきょうのレンズのようなものがはめこまれていた。
下に、かみがはられ、モンシロチョウのふゆごし(さなぎ)とかいてあったので、
そこをのぞいたら、モンシロチョウのさなぎらしいものが見えた。
ほかに、鳥や、めずらしいチョウが草や木にとまっているのが、
ガラスの大きなケースにはいっていた。
さて、自ぜん科がくかんをでて、高山しょくぶつえんを見た。
ツバキ科、バラ科、いろいろあるが足がいたっくなってきたので、でた。

びわこ (5)
高山しょくぶつえん

   えんりゃくじ
   こんぽん中どう
バスにのり、えんりゃく寺に、こんぽん中どうという、お寺がある。
根本中堂 (3)

このこんぽん中どうには、
やくしにょらいと、あみだにょらいと、ご本ぞんさまが、中おうにまつってあり、
りょうがわに、さいちょうとしゅぎょうした、○○上人という人がまつってあった。
おぼうさんがえんりゃく寺について、お話をはじめた。
「ええ、このえんりゃく寺をたてたのはさいちょうというお方です。
さいちょうは、その時まだ青年で、心もしっかりしていて、この、そのころ、
車一つなく、道もないひえい山を、つえでひっしにのぼってきたのです。
そしてこのえんりゃく寺をたてました。
そしてなん人かのわかものをつれてきて、そこで学もんをみがきはじめました。
つまり、今の学校のようなものです。
このえんりゃく寺をたてる時は、何一つ、この山のものつかっていません。
お国の方がた、人の力ではこんできて、たてたものです。
この前のはしらはケヤキの木です。前のはしらだけで、十二本、
ぜんぶで七六本のはしらでこのやねをささえています。
このお寺は、ふつうのお寺とかわったところがあります。
ふつうのお寺は、かんのんさまがいらしゃるところは
上だんといって、高くなっているわけです。
けどこのお寺は、かんのんさまの上だんと、
わたしが立っているところと、おなじ高さのわけです。
わたしが立っているところが中だん、
あなたがたがすわっているところを、下だんといいます。
ここにまつってある方の、まん中は、左手にくすりつぼをもった、
やくしにょらいさま、左があみだにょらいさま、右がごほんぞんさまです。
みな、けんこうのかみさまですから、どうぞおいのりください。
さいちょうのぞうは、もっと大きくみたいなら、大こうどうにおいでください。」
さいちょうを見た。白いぬのを、あたまからかたまでかけていた。
ごほんぞんの前に、きくのもんのついた、
ふめつのともしびという、とうろうがあった。
千二百年もけされたこともなく、
きえそうになれば、かやのあぶらをさしてつけつづけたそうだ。
こんぽん中どうの前の、ぶんじゅろうにはいった。
ここには、がくもんのかみがまつられてある。
おがんでから、きゅうなかいだんをのぼって外にでた。
ぶんじゅろうの前で、おちゃをごちそうになった。
わたしたちだけ、おちゃをもらったので、ほかの人にわるいような気がした。

根本中堂 (5)
こんぽん中どう

大こうどうへ行った。
たしかにさいちょうがおおきかった。
こん本中どうとおなじ白いぬのをかぶっていた。
大こうどうには、しょうとく太子や○○上人とか、
○○○しという人のぞうがたくさんあった。
ここは、おぼうさんたちが、こうぎをしたりして、
学もんをみがくところで、ちえのかみがまつってある。
大こうどうのにわのかたすみで、かねをついた。
かいうんのかねというそうだ。
みんな、じゆうについていたので、わたしもおねえちゃんとついた。

びわこ (15)
おねえちゃんとついた・かいうんのかね

ゴーン。なりひびいた。
かねらしく、おちついたすんだ音だ。
ひえい山のじょやのかねは、このかねがなりひびくそうだ。
いい思いでになった。
もう一どさいちょうのことを思いだしてみた。
つえ一本で、この山をのぼってきた。わたしはケーブルカーでのぼってきた。
私は、ケーブルカーの中で、白いころもをまっとったおぼうさんを見た。
さいちょうは、このような人のわかいころ、つえ一本にすがり、
ここを足でのぼってきたのだ。さいちょうがのぼって来たから、寺はたたったのだ。
さいちょうは、ひえい山ひらけのもとだと思った。
そして、ケーブルカーにのり、ひえい山をおりた。








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